108 / 365

1年間に読んだ本/見た映画・演劇の合計が108になるといいなあ、という日記。

『キングズマン』

『キックアス』シリーズのマシュー・ヴォーン監督の最新作である。『キックアス1』では爽快であった自警組織だが、『キックアス2』にいたって、それは、アメリカ式の善意の押し付け以上の、はた迷惑な、あまりにはた迷惑にすぎる(それはしばしば世界を混迷に陥れている)独善に、衣をつけて揚げてケチャップをかけたような映画であった。それが、「正統派スパイ映画」すなわち007シリーズのオマージュをやっているのが今作である。

イギリス紳士が、そのイギリス紳士ゆえの小道具を駆使して戦う様は非常に痛快だった。このようなアクションは、おそらくアメリカ人監督ゆえの「かっこいいイギリス」の表現なのだろう。敵として対置されるのは、これまたいかにもなアメリカ人であり、その悪の根源は、極端に枉げられたエコロジー解釈に基づく「独善」である。

この意味で監督は、自警組織という独善が悪の根源になりうることを対象化しようとしているのかもしれないが、主人公の組織であるところの「キングズマン」もまた、政府から独立した自警組織なのである。結局マシュー・ヴォーンは、自警団どうしのぶつかり合いを描くしかないのだろうか。

政府がバックについた諜報機関を「正義」と割り切ることはもはやできず、つまりMI6やIMF「正義の味方」とする既存のシリーズへの批判精神があるのかもしれないし、それ以上に、政治の常道に信頼感がまったくおけないというところが現代的といえば現代的なのではあるが、しかしながら、描かれているのが自警団どうしの戦闘である以上、それは私闘以上でも以下でもなく、そのような戦いを世界規模で繰り広げられるのを見せられるのは、いかにも不快であった。

携帯電話のSIMを使って、世界中のひとびとの洗脳を試みるという悪のアイディアはとても斬新で面白かった。スウェーデンの王女がエロいのも、演出としては、全人類の夢の反映と言っては言い過ぎだろうか。