1/2017『リップヴァンウィンクルの花嫁』
黒木華の歌が、COCCOの踊りが、良かった。
もっともっと黒木華の歌がききたい。
90年代から00年代にかけて、岩井俊二の映画が放っていたきらめきは、当時中高生だった自分にとっては特別だった。『リリイシュシュのすべて』を見るために、外出禁止だった寮をぬけだして渋谷のシネマライズに奔った。映画を撮ってみたいと思い、シナリオを書いてコンテを切った。ハンディカメラで、知り合いや友達同士撮り合った。
淡い色調なのに鮮明な画面。被写界深度の変化による演出。ピアノ。少女。
映画の形をとって、ある記憶を記録すること。
ぼくが見てきた岩井俊二の映画は、そのようなものだった。そして、そのような岩井俊二は、この『リップヴァンウィンクルの花嫁』で完全に復活したと思う、まずはそのことを喜びたい。
一方で、映画そのものは難解である。伏線を読み解こうとすればするほど、裏読みをしようとすればするほど裏切られる。
ラストの人物の死から、ストーリーを遡行すると、無限に遡行できてしまうのがこの映画の怖さだ。どの時点から「死」にまつわる依頼に主人公が巻き込まれていたのかが、まったくわからない。
あっけなく、あまりにあっけなくストーリーが進みすぎ、のっぺりした時間感覚が否応なく不穏さを掻き立ててくる。
異界への扉はいつもスマートフォンである。
スマートフォンの向こう側に異界があり、異界の住人である狂言回しの安室は、スマートフォンによって召喚される。不思議の国のアリスはうさぎの穴に落ち込んだが、現代のウサギ穴はスマホである。
まさに物語の、物語による、物語のための物語だ。
ポルノ女優の描き方にやや不満はあった。
黒木華のデコルテが赤味を帯びてふっくらしているのが良かった。ああいう風に映されるひとを、映画は殺さない。
映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』公式サイト