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1年間に読んだ本/見た映画・演劇の合計が108になるといいなあ、という日記。

『ロング デイズ ジャーニー この夜の涯てへ』

2000年、父と友人の死をきっかけに、中国貴州省の片田舎「凱里」に戻ってきた男と、友人の死のきっかけとなったマフィアの情婦の二人の物語を中心に、あらゆる場面、あらゆる舞台、あらゆる装置が伏線となり、物語がツイストしていく。ラスト60分、3Dかつワンカットの幻想的なシーンが連続していく。

 

個人的な関心から注目したのは、2000年という近過去に設定された背景で、これが妙にリアルなのだ。田舎の家の、粗く塗った漆喰壁、赤茶色い土埃の染み付いた自動車、煮しめたような色の労働者のシャツ、やたらと赤い、丈が短くくせに襟元にはフェイクファーのついた女もののダウンジャケット、、、すべてが懐かしい。夏に食べる柚子、スイカ、蜂蜜を溶かした白湯、、、画面から匂いが立ってくるようでもある。これもすべて、邯鄲夢なのかもしれない。

 

強盗団が襲った家にあったという「緑の本」が物語の推進力となる。この本に書かれてある呪文が、全てのものを廻していく。「未曾有の映画体験」というような惹句がつく種の映画であるが、自分にとっては『バードマン』の東洋的な再解釈のようにも思えた。バードマンの想像的な飛翔は、この映画ではロープウェイや卓球のラケットによって達成される。ラストの、物語の行く末を暗示しない、オープンな終わりかたも同様である。(2D版しか見ていないのでこのような感想になるのかもしれない。3Dで見れば、また違った印象を受ける可能性もある。)このことだけではなく、物語としても、複数回見なければわかりえぬ細部がたくさんあるのだと思う。

 

画面の中に映っているもののすべてに意味があるかのようにすべてが描写される。気をぬくことができないのに、一瞬で場面が切り替わり、人物と人物が入れ替わり、気がつくと最重要と思えていた人物はいなくなっている。確定的な物語はなく、ただ、世界は広いのに、強烈な閉塞感がある。長い坑道の出口にさえ、希望がない。これが中国の最新のリアルなのかもしれない、と思った。

 

映画館の闇に乗じて、背後からサイレンサー付きの銃で対手を狙う描写は新鮮、かつ、とても気持ちが悪かった。地下のカビくさい、内装は妙にゴージャスな地方都市のミニシアター、客は自分とほかにもう一人、という空気と一緒に、これは忘れえぬ映画体験となった。